1484年、ポルトガルのジョアン2世に
航海のための援助を求めるが断られる。その頃ポルトガルはアフリカの喜望峰に達しており、わざわざ新しい航路を開拓しなくてもインドに着くと考えられていたからである。1488年にはバルトロメウ・ディアスがこの東周りの航路を開拓した。ポルトガルは自身を必要としていないと考えたコロンブスは、1486年にカスティーリャのイサベル1世とその夫フェルナンド5世(アラゴン王としてはフェルナンド2世)にも援助を願い出るが、良い返事は得られなかった。当時のスペインではイスラム勢力が占拠するグラナダを攻めるために準備を整えており、コロンブスに対する援助ができないのも当然であった。しかし1492年1月2日に、スペインはグラナダを攻め落としレコンキスタを完遂すると、「地理上の発見」のための財政上の余裕ができ、またポルトガルに対する対抗心も手伝い、フェルナンド国王の財務長官であったルイス・デ・サンタンヘルを初めとしたスペイン王室は、コロンブスに援助を与えることに決めた。4月17日、フェルナンドとイザベルは正式にコロンブスと契約した。イザベルは宝石まで与えたが、それは自身の指輪一つだけだったとも言われている。
update:2009年09月09日
